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Dear Someone. -社会心理学概論-

社会心理学に関連する記事を載せていきます。

傍観者効果: 東京の人は本当に「冷たい」のか?

Previous: 社会的ジレンマ

 

A「うわぁ、く~~~、いってて…。まさかこんな街中で転ぶとは…」

B,C,D....Z「(見てみぬふり)」

A「ねえ、なんで誰も助けてくれないのよ!おいそこの!!」

B「いや、だって…大丈夫だと思いましたから…」

 

 前回のおさらい 

 前回までは、「囚人のジレンマ」から人々が直面する葛藤を、「協力」と「裏切り」という二つの選択からなるゲームのモデルを想定し、集団間の葛藤である「社会的ジレンマ」まで範囲を伸ばして説明してきました。社会的ジレンマとは「個人的な欲求」を満たそうとすると、ほぼ必ず「社会的な欲求」を満たすことができなくなることからくる集団間の個人のジレンマのことでしたね。社会心理学は、人が社会的ジレンマに直面しながら、どうやって集団を維持しているのかという問題に今まさに直面しているという話をしました。

 その問題を解決する方法に、「社会的ジレンマ」の記事では、「サンクションシステムの導入」と、「互恵的利他主義」を挙げました。サンクションシステムとは、「個人的な欲求」を優先し、「社会的な欲求」をないがしろにする人間に「制裁」を与えることで、「社会規範」を維持する体系のことでした。そして、互恵的利他主義とは、「個人的な欲求」を無視しても相手に協力すれば、長い目で見れば必ず利益が多くなるという考え方のことです。しかし、この二つの概念はどちらも一長一短であり、十分に解決できる答えにはなりませんでした(前回の記事をお読みください)。

 ところで、「互恵的利他主義」が問題になったのは、ここ50年の話なのです。なぜなら、長い間人は、「人に協力する」ということは当たり前の規範だと思っていたからです((1。例えば、人はどうして「集団に属する」ことをするのかを考えてみましょう。よく考えれば「囚人のジレンマ」や「社会的ジレンマ」でも見てきたようなジレンマを抱えながらも「なぜ人と付き合おうとする」のでしょうか。そんなことをせずに「個人的な欲求」を満たすことができれば、それに越したことはありません。しかしそれでも、人は色んな「所属グループ」に属しながら生きてきました。つまり、間は長い間「個人的な欲求」を無視し、「集団の欲求」を満たすような行動を自然に取ってきたのです

 キティ・ジェノヴィーズ事件

 そういった「人は自然と協力行動を取る」という価値観を揺るがせる事件が1964年に起きました((1。それは、ニューヨークの住宅地で起こった「キティ・ジェノヴィーズ事件」です。深夜に住宅地を歩いていたキティ・ジェノヴィーズという女性が、突然暴漢に襲われ刺殺されたというとても悲痛な事件ですが、研究者たちを驚かせたのは、彼女が殺されるまでに30分以上も悲鳴が住宅地にとどろき、近くに住んでいた38人もの人がそれに気が付いていたにもかかわらず、誰一人として助けに行かなかったどころか、誰も警察に通報しなかったことです

 ところで都市部の人は集団になるとしばしば冷淡な行動をとると言われることが多いですよね。その理由の一つに、みんなが助け合い、村を共同で作っていく田舎と対比されて、都会の人間は隣に住んでいる人の顔も知らないといったような「無関心な一面」が見られることがあるからです。冒頭の例にもあるように、都会ではそばで誰かが転んでも素通りする人間が多いですよね。しかし、それは本当に「都会だから」なのでしょうか。

ダーリーとラタネの仮説:「傍観者効果」

 J.M.ダーリーとB.ラタネは、この実験を出発点として「なぜ人を助けなかったのか」という問題にアプローチしました。特にラタネは、『冷淡な傍観者 なぜ助けないのか』という著書をまとめるほどに、先の事件のような緊急事態に誰も女性を助けようとしなかったと事実に驚いたそうです。

 そこで彼らは、「緊急行動での援助行動」が行われる段階を次のように考えました。分かりやすいように、冒頭の具体例で介入を行うか行わないかの判断の経緯も付記しておきます。

  1. 緊急事態への注意(〇:誰かが近くで転んでいる、辛そうだ)(✖:そもそも気が付かない)
  2. 緊急事態発生の判断(〇:立つのもやっとだな、足首をねん挫していそうだ)(✖:周りの人は素通りしているし、もしかしたら大丈夫なんじゃ…?)
  3. 個人的責任の程度の決定(〇:周りに助けてくれそうな人もいないし、僕がやらなきゃ)(✖:誰かが代わりに手を差し伸べるだろうし、もし助けて下心があるとか言われたら嫌だな)
  4. 介入様式の決定: (〇:手を差し伸べるか、或いは救急車を呼ぶか)(✖:誰かが見ているし、失敗して悪く言われたらどうしよう)
  5. 介入の実行: (〇:肩を持ってあげて、近くのベンチに座らせてあげよう)(✖:性格悪そうだしやっぱいいや)

  このように「緊急事態での援助行動」のモデルを考えることで、「緊急事態への不介入」がどのようにして起こるのかという可能性を示しました。このように、「ほかの人々の存在が不介入を生じさせる状況的要因」が起こす効果を、「傍観者効果」と言います。例えば2の「周りの人の素通りから判断する」、3の「誰かが代わりに助けるだろう」、4の「みんなの前で失敗したらどうしよう」といったものは、「傍観者がいる」という要因のせいで発生していることが分かります。

 ダーリーとラタネの実験: 「模擬発作実験」

 ダーリーとラタネはこのような仮説の元、模擬的に緊急事態を発生させ、援助行動を起こさせる実験を行いました。

 まず、ニューヨーク大学の学生を集団討論に参加させ、その討論の最中に参加者の一人が発作を起こすという緊急事態を作り出しました。被験者(実験の参加者)は一人ひとり個別の部屋に入れられ、討論をその部屋のマイクとインターフォンを通して行いました。その途中で、参加者の一人(実験協力者でサクラと呼ばれる)が突然苦しみだし、発作を訴えます。それを聞いた被験者が廊下にいる実験企画者にどのくらいの早さで緊急事態を伝えるのかを計りました。

 実験は、被験者が一人の場合、二人の場合、五人の場合で行われました。つまり、被験者の数が多ければ多いほどラタネの仮説である「傍観者効果」が起こると予測されます。結果は、「自分以外にも討論参加者がいる」と思っていた学生ほど、緊急事態の伝達が遅いという結果になりました。つまり、「周りの人がいる」という状況的要因が「緊急事態への介入」を抑制することが実証されたのです

互恵的利他主義

 「人は自然と協力行動を取るだろう」という信念は、「傍観者効果」によって疑問視されるようになりました。「人はなぜ協力しないのか」という問いから、「人はなぜ協力するのか」という思考の転換が行われることになりました。そうした問いから、「互恵的利他主義」という考えが生まれ、検討され始めることになります。しかしその前に、次回は一旦別のアプローチから人と人との関係を見ていこうと思います。(次回とか言ってますが、順番に読まなくても大丈夫です。社会心理学は伝統的に様々な理論が並立的に、或いは相互関係的に存在しているので、目次から読みたい順番に読んでください)

 

A「うぅ…東京の人たちって本当に冷たいわ…」

B「ごめんね、傍観者効果といって、みんな見てたから…。でも、次は君を助けるよ(よかったら友達になろう…)」

A「は?次も転べってこと?ふざけんなよ」

 

 

 

Next: 社会的交換理論

---------------------脚注

1. このように、科学的に基づかないが人々の間で信じられている理論のことを「しろうと理論」と呼びます。心理学や社会学、そして社会心理学はこうした「しろうと理論」をヒントに仮説を立てたり、検証を行ってきました。