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Dear Someone. -社会心理学概論-

社会心理学に関連する記事を載せていきます。

はじめにお読みください

社会心理学

“…an attempt to understand and explain how the thought, feeling, and behavior of individuals are influenced by the actual, imagined, or implied presence of others.”((1 (訳: 個人の思考や感情、そして行動が、現実の、想像上の、或いは示唆された他者の存在により、どのような仕方で影響されるかを理解し、説明する試み)

 これは、G.W.オルポートが1930年代に社会心理学を定義した一節です。簡単に言えば社会心理学は、社会にいることによって人間は心をどのように変化させるのかを考える学問と言っていいでしょう。

 しかし、社会心理学は歴史が浅く、非常に学際的な(扱う範囲の広い)学問です。例えば「社会にいること」と一言で言っても、どの範囲を社会と呼ぶのかで考えるべき学問領域は変わってきますし、「心」をどう扱うかを含めた考え方は未だに各学問領域で大きく異なっています。

社会心理学は、心理学者のM.マクドゥーガル社会学者のE.A.ロスがそれぞれ1908年に『社会心理学Social Psychology』の教科書を出版してから始まったといわれていますが、今日までその短い歴史の中で形態を大きく変えてきています((2。

そして、現代において起こっている社会の多様化は、社会心理学を更に複雑なものにしています。認知心理学や神経科学と深い交流を持ち始めたり、文化心理学進化心理学など新しい分野を生み出しています。また社会学的な観点から、行動経済学などのマクロな視点にも視野を広げています。

本サイトでは、こうした社会心理学への理解を少しでも深めようと、あらゆる視点から社会心理学を見つめなおし、或いは社会心理学の視点を持って様々な事象を詳細に取り扱っていければいいと思います。まだ、勉強したての未熟者ですがお付き合いしていただければ幸いです。このサイトを通じて、皆さんと共にレベルアップができればいいなと思っています。

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目次

対象

社会心理学を知らない人から初学者まで。高校生から社会人の方まで読めるような文章を努めています。分からない部分、あるいは物足りない部分があれば遠慮なくコメントしてください。

キーワード

社会心理学社会学、心理学、社会的認知、態度変容、社会的ジレンマ認知的不協和理論、社会アイデンティティ理論、集団規範、心理統計学文化心理学進化心理学、社会神経科学、マイクロ=マクロ関係、適応

-------------脚注

((1 What is social psychology? http://psych.fullerton.edu/rlippa/Psych351/sp_outline1.htm

((2 社会心理学の歴史 - Dear Someone.

((3 『複雑さに挑む社会心理学 適応エージェントとしての人間』亀田達也・村田光二 2010 有斐閣アルマ

心の所在: 僕らの心はどこに?

社会心理学

「僕らは何かを考えて行動している。死んだら、『僕』という意識は消える。でも、寝ているときに夢を見るように、『僕』には無意識が働いている部分が明らかにある。だとしたら、僕達を動かしている『心』はどこかに・・・」

 

 お久しぶりです。ここ一ヶ月間、僕は自分の「心」に振り回されました。例えば何か締め切りを間近に働いているとき、人は「何かをやりたい」と思いながらも、身体が「もう休まりたい」という信号を出したり、資格試験などでの合格発表間際には、平静を取り繕うとしてもいつもと違うようなことをしてしまったりすると思います。そんな時僕らは、「自分の心に振り回される」などというのではないでしょうか。

「心と身体」を巡って

 「心と身体」の議論は、古くから関心のあるテーマでした。例えばプラトンは愛の対象を「肉体」と「」とに分け、前者よりも後者がより高尚な愛であると定義しました。また、アウグスティヌストマス・アクィナスといった「中世スコラ学派」の人たちは、「愛の秩序」を元に、魂についての理論化を試みています。「愛や道徳」などといった観念を考える上で、人の動力である「魂」の存在を語らないわけにはいかなかったのです。

 さて、心と身体が異なる存在として明確に語ったのはルネ・デカルト(1596-1650)でした。今では「心身二元論」と呼ばれるその理論は、「人間の心は機械に還元できない」として、「心」と「身体」を分けました。もっとも今ではもちろん「心身二元論」は否定されています。僕達の「身体」は「脳の働き」によって動いているのですから、「心」がどこか別の部分に具体的に"存在する"ことはないですよね。

 しかし、デカルトのこうした試みは、「心身二元論」を生み出した以上の意味が在りました。今でこそデカルトは否定されていますが、実は彼は、人間の身体を当時としては画期的だった、機械論的な見方を提示していました。デカルトの著作『人間論』には次のように記されています。

 

 この機械に見られるさまざまな機能を考えられたい。それは次のようなものだ。食物の消化、心臓の鼓動と血流、栄養摂取と身体の成長、呼吸、睡眠と目覚め、感覚器官からの光、音、匂い、熱などの受容、常識と想像力を司る器官における感覚刺激に基づく観念の刻印、それら観念の記憶への蓄積、食欲や情熱の喚起、感覚器官に提示された物体の運動にかくも適切に従う身体器官の動き、(中略)この機械の持つこれらの機能は、時計やその他の自動機械の動きが、釣合いおもりや車輪の性質に従うように、単純に身体器官の性質に従う。

 

  この文章からも分かるように、デカルトは人間の身体を「自動機械」のようなものだと想定し、分析を続けました。しかし彼は身体を機械論的な見方をおし進めれば進めるほど「人間はなぜ、神などの存在を想定できるのか」や、「人はどうして無限の反応をするのか」といった問いに答えられなくなっていきます。そうして苦し紛れに「」というものの所在を、脳の中間に位置する「松果体((1」の中に想定しました。そうすることによって、人は限られた資源の中で、無限の思考を働かせることが出来たと考えたのです。

心身二元論」の変遷

 「心身二元論」は、スピノザライプニッツへと批判検討されていきました。スピノザは、「心」と「身体」を分けて考えたデカルトに対して、「物質(身体)」も「精神(心)」も神の属性の一つに過ぎないといった「汎神論」的な考えを示しました。このような一元論的な見方は、「物心一元論」と呼ばれています。

 それに対し、ライプニッツは更に還元な見方を提示します。彼は宇宙を構成する最小単位に「モナド」という非物質的な(広がりを持たない)概念を想定しました。「モナドに窓はなし」という有名な言葉からも伺えるように、このモナドには相互に独立して宇宙を構成しています。このモナドが宇宙を映し出すことによって世界がこの形を保っているのであり、「心」や「身体」もその一部に過ぎないとしました。

 「心と身体の議論」はライプニッツによって一回落ち着きます。何故なら神を想定した心の分析は、「モナド」という極端な還元主義によって限界を迎えたからです。哲学的に「心の所在」を考えることが出来ても、それを実証するすべは在りませんでした。つまり、ライプニッツを超えるような理論が出来上がっても、生産的な議論を生み出すことは出来なかったのです

実験心理学」の成立

 心の分析が長らく哲学の管轄であった状況を一変させたのは、近代の心理学の父と呼ばれているヴィルヘルム・ヴント(1832-1931)でした。彼は、「心」をいくつかの心的要素の集まりだと考え、人間の意識を観察することで「人はどのように対象を認識するのか」を実証できると唱えました。そこで彼は「心の研究」に対しこれまでの哲学的手法を打ち捨て、自然科学の手法を取り入れました。具体的には、心理学実験室を研究のために設営し、実験によって被験者による「内省」から意識の研究を行ったのです。ヴントは「心」を実験によって分析するという初の試みから近代の心理学の父と呼ばれることになります。

 以上が、「心の所在」をめぐる議論の大まかなあらすじになります。長らく哲学的に留まっていた「心の所在」が、ヴントによって自然科学に取り入れられることで、「心」の研究は大きく飛躍することになります。具体的に言えば、意識という主観的な概念を一切排し、「刺激ー反射」から行動を予測しようとする「行動主義」や、人間の「無意識」の部分に焦点を当てて精神分析を行う「フロイト派」が生まれることになります。これについての詳細は次の記事で書きたいと思います。是非次回もお読みください。

 

「なあ、お前、今何を考えてんの?」

「んー、私はあなたのことが嫌いだと思って」

「え?それ結構ショックなんだけれど、はぁ、そうか…」

「(本当は好き。内省なんて当てにならないよね。その人がどう感じているかなんて本人にも分からないんだから)」

 

Next. 意識と無意識

--------------------------脚注

1. 「松果体」は、二つの大脳の間の中央部に位置している、赤灰色のグリーンピースほどの大きさしかない器官です。それは、セロトニン(攻撃性を抑制するホルモン)とメラトニン(体内時計や睡眠に関わるホルモンで、老化防止や性刺激ホルモンを抑制したりもする)を分泌します。もちろん、松果体には「心」は内在していませんが、これがなければ、性的早熟を引き起こしたり、極度の不安や睡眠障害を引き起こしかねないため、あながちデカルトの考察は間違っていなかった…とはいえないこともないんですかね…笑

 

 

援助行動: 結局、人の「優しさ」ってなんだろう?

社会心理学

Previous: 社会的交換理論

 

男「ねえ、好きな人のタイプってある?」

女「そんなこと言われても…。うーん、強いて言うなら優しい人かな」

男「優しい人、ねえ。優しい人って本当にいるのかな」

女「わかんない。いるかどうか分からないから、理想なんじゃない?」

男「真の優しさが分からなくても、どういった行動が人にとってプラスになるか。それについて考えてみようか」

前回のおさらい

 前回は、「社会的交換理論」の大枠をお話ししました。簡単に言えば、社会の仕組みを、金銭や物品のような「経済的交換」とは別の、愛情とか幸せといったものを交換する「社会的交換」によって理論的に説明しようとするものでした。今回は、長い目で見れば巡り巡って自分に返ってくるだろうという考えから人に協力する関係を築く「互恵的利他主義」の考え方も加えて、社会心理学の関心の一つである「援助行動」について具体的な話をしていきたいと思います。援助行動とは、簡単に言えば自分を犠牲にしてでも相手を助けたいと思う気持ちですが、社会心理学で扱う援助行動は多種多様です。その大枠を概観していければと思います。

思春期の子は優しくない?

 E.スタウブが「年齢を重ねるにことによって、援助行動はどのように起こるか」を調べるために子供たちに興味深い実験を行いました。彼は子供を部屋の中にいれ、ほかの子供の泣き声が隣室から聞こえたときに示す行動を分析し、援助行動の発生率を調べました。

 興味深いことに、通常は年齢を重ねるごとに、思考や認知が成熟し、誰かのために動こうとする心理が育つように思われるが、結果は全くの逆でした。幼稚園から小学二年生までは、援助行動をする子供たちの割合が増えてきますが、二年生をピークに、小学校六年生まで割合はガクンと落ちるのです。更に興味深いことに、一人でいるときよりも二人でいるときの方が、その変化は大きくなります。

 以上のような結果から、多感な思春期になると、「傍観者効果」でも問題となった「他人からの評価」を気にするようになり、行動が慎重になったことが分かったのです。「他人からの評価」を気にし始めるのは思春期特有の反応であることが分かっているため、「援助行動」が「他人からの評価」に左右されやすいだろうという結論を導くことができます。

援助行動の分類

 では、「援助行動」はどうやって発達していくのでしょうか。援助行動を調べるにはまず、その概念が何かという説明をしなければなりません。しかし、社会には様々な援助行動があふれています。お年寄りに椅子を譲ったり、学校の先生が授業時間外に質問を受け付けたり、親の介護、友達のレポートを手伝うなど援助行動には無限の多様性があります。しかも、その多様な行動には、さらに多様な動機があります。

 今回は、「援助行動」を、本人の内的要因から、他者の幸福のために行為することと定義します。つまり、「お年寄りに椅子を譲るのは、自分がそうしたいからしたのだ」ということで、「他人に命令されたからした」という行動は援助行動に含めないとします。高木修は援助行動を次の7つに分類しています((1

  1. 寄付・奉仕(お金を寄付したり、臓器を提供すること)
  2. 分与・貸与(自分の貴重な持ち物を貸し与えること)
  3. 緊急事態における救助(緊急に救助を必要としている人を助けること)
  4. 労力を必要とする援助(荷物を持ってあげたり、料理を作ってあげたりすること)
  5. 迷子や遺失者に対する援助(はぐれた子供を世話したり、落とし物を届けること)
  6. 社会的弱者に対する援助(身体の不自由な人や子供、お年寄りを助けること)
  7. 小さな親切(出費をほとんど気にかけることなくできる親切のこと)

 このように「援助行動」を分類することによって、援助行動の概念の理解が深まったと思います。この分類によって、援助動機を調べることで、援助行動の共通点を見つけ出し、重要な要素を取りだすことが可能になりました。

援助行動を起こす動機について

 援助行動を行う動機について、さまざまな研究者が類型に分類しました((2。以下、それに共通する分類方法を大きく四つに分けました。

  1. 援助必要性の知覚(相手が困っていて援助を必要としているか気づくこと)
  2. 責任感と規範(自分が援助をする責任があると感じるかどうかを、社会的・個人的規範に依存していること)
  3. コストと報酬(援助に伴うコストとそれに見合う報酬があるかどうか)
  4. 援助技能や実行可能性の自己評価(自分がその援助をできるかどうか)

 これらの動機が互いに関係して、行動を促進したり抑制したりして援助行動が起こるとしました。これらを大枠から観察すれば、援助行動は「個人的な要因」と「社会的な要因」が多重に絡み合って成り立っているように思われます。従って援助行動を研究することは同時に、個人と社会の関係を研究する社会心理学の分野にぴったり当てはまるということです。

共感性から見る援助行動

 「援助行動」を「共感性」という概念から見た場合、また違った様相が表れてきます。共感性とは、他者の心を推測し、気持ちを理解することです。社会において、この共感性を育てることは、相手との言語的、或いは非言語的コミュニケーションを交わすうえで大きく重要なスキルとなってきます。

 共感性によって援助行動が行われると仮定した場合、考えられる動機は二つあります。一つは、苦しい状態に陥っている人を見たときに生じる不快感を低減するために行う「自分本位の動機」付けです。例えば、電車で立ったままのおじいさんが悲痛そうな顔をしていた時、その顔から苦痛を共感的理解することによって生じる自分の痛みを軽減しようと席を譲る、とした場合です。

 もう一つは、苦しい状態に陥っている人にただ単純に幸せになったほしいと思う向社会的な動機です((3。共感的理解から、人に幸せになってもらおうとボランティア活動などに従事しするような「利他的動機」のことを言います。前者からくる行動は、一時的な援助行動であることがある場合が多く、後者に裏付けられた行動は、継続的な援助行動になることが実験でわかっています。ボランティア活動も、「苦しんでいる姿を見たくないから助ける」というよりも、「一緒に幸せになりたいから助ける」といった人の方が長く続きそうですよね((4

 このように、人への共感性による動機付けは、「社会的交換」とはまた違った援助行動の形を与えてくれます。また、この共感性は、自己中心的な思考から脱し、他者視点を考えられるようになって育つ性質であることが分かっています。つまり、前半のスタウブの実験が示したように一度は潜伏するものの、多感な思春期を経て他者視点を獲得することで、援助行動は促進されていくと解釈することができます。

 

 今回は「援助行動」について深く掘り下げてきましたが、多くの研究者によって類型化されているとはいえ、行動や動機の多様化であることによる定義のあいまいさは未だに残ったままです。まとめると、「援助行動」は、幼いころに育てられるべき行動規範で、それは思春期の時にいったん潜伏します。それがどのように発達するかを調べるにあたって、その行動が7つの分類によって分けられ、その分類に対応する動機を調べることによって4つの類型を示すことができました。また、共感性という性質から援助行動を見ると、「自己本位の動機付け」と「利他的動機付け」の二つに分けられ、後者のような利他性は、他者視点の獲得によって得られると言うことができました。

 「援助行動」は何回も繰り返している通り、それ自体はあいまいな定義しか持っていません。しかし、その概念に関係する多くの研究結果と考え方は、個人と社会の関係を探求する社会心理学には重要な知見を与えてくれます。今回の様な、自己と他者を「協力/裏切り」の関係とみなす「社会的ジレンマ」的なカテゴリーはこれで終了となります。次回からは、社会心理学の古典的な研究に触れていけたらいいなと思います。良ければ次回も是非読んでください。

 

女「結局優しさってどこからくるのか全然わからなかったね」

男「そうなんだ。なのに、人は優しさを求める。頭の中では『優しさとは何か』が実は何かわかっているんだ。しかし、それはあまりに複雑で、言葉にしたとたんに消えてなくなってしまう。人の援助行動を一つとってみても、個人や社会、その文化や瞬間の状況で、その行動の意義が大きく変わってくる。だからこそ、『自分にだけ優しいその人』は自分にとって貴重なんだ。多くの人が『優しい人』を求めるのは、その貴重さに価値を置いているのかもしれない。逆に言ってみれば、先ほど君が言った『分からないから理想になる』というのは案外正しいのかもしれないよ」

女「それでも、私は自分にとっての優しさを探求していきたい。そうやって探求してその先に、何かがあるのかもしれない。それと同時に、自分に対する理解も深まるかもしれない。そして、私自身も優しくなれるかもしれない」

男「そういう希望を持って、今後も社会心理学を研究できればいいよね。時として意図することと全く逆の実験結果が得られようとも、社会心理学が与えてくれる知見は大いに役立つことを期待しているよ」

 

 

--------------------------脚注

1. 高木修著『人を助ける心ー援助行動の社会心理学サイエンス社、1998年

2. Reykowski, J. Cooperation and helping behavior. 1982年 Academic Press.

3. 「向社会的行動」とは、「援助行動」をはじめとした、社会に価値を置く行動のことです。ボランティアや人助けなどを含みます。 

4. しかし、今のボランティア活動では、「本当にボランティアがしたい」として地域活動を行う若者は10%もいないという研究データがあります(すいません、どこだったか忘れてしまいました。後で書きます)。その内情は「地域交流を持ちたい」や「自分のスキルアップ」といった自己本位の動機付けが多いのが実情です。

社会的交換理論: 遠距離恋愛はなぜ上手くいかない?

社会心理学

Previous: 傍観者効果

 

男「なあ、好きだよ」

女「…。ねえ、そんなことをLINEで書かれても全然響かないんだけど」

男「そんなこと言ったってどうすれば…」

女「会いに来て。会って私を抱きしめて。アイオワから飛んできて、雪かきで疲れた私を癒してよ!!」

男「そんな、だって新潟に行くにはお金が…」

女「お金と私、どっちが大切なの?」

 

前回のおさらい

 前回は「傍観者効果」についてお話ししました。これまで、「人はなぜ協力しないのか」という研究の方針を「人はなぜ協力するのか」ということに転換した重要な概念だということを考察しました。まさに人は「緊急事態への対処行動」を行おうとすると、多くの「不介入」を及ぼす要素があるということが分かりました。

 さて、「傍観者効果」で特に、人の協力行動を抑制していたのは「周りの目」だったと思います。「みんなの前で失敗するのが怖い」、「下心があると思われるのではないか」と言ったような思考回路が問題になっていました。「囚人のジレンマ」や「社会的ジレンマ」でも、人は協力行動を取ろうとするときに自分が協力してどのくらい得をするのか、そして協力した時のコストはどれくらいかを無意識に吟味しています(だからジレンマになるということであるはずです)。今回は、この概念の下地になるような理論である「社会的交換理論」について説明したいと思います。

社会的交換理論とは

 人は様々なものを交換しながら生活しています。例えば誕生日になればお互いに「プレゼント」を交換したり、「お金」を渡して様々なものを購入します。このように、「金銭や物品」を交換することを「経済的交換」と定義したとします。一方で「もの」といっても一概に金銭や贈り物ばかりではありません。友人同士で遊びに行けば、「時間」を対価にして「楽しみ」をお互いに提供したことになりますし、恋人同士では持続的に「愛情」を交換しあい、特別な「幸せ」を与えあっています。このように、「愛情」や「幸せ」など実体のない「対人的相互作用」をお互いに交わす関係性のことを「社会的交換」といい、この「社会的交換」の視点から、対人関係の満足度といった社会の構造を理解しようとする理論的立場のことを「社会的交換理論」と呼びます。

 「社会的交換」は「経済的交換」とは違って、実体がありません。例えば、金銭などは「100円」、プレゼントは「5000円」といったように、「経済的交換」でなされる「財」には、そのもの自体に価値があります。従って、「5000円」の物をもらえば「5000円」分の価値を返し、「一億円」をあげると言われたときには、「そんなものを後々返せる見込みがない」と一蹴することができます。

 しかし、「社会的交換」の場合は「愛情」や「幸せ」、「尊敬」といったようにそのもの自体にはあまり価値はなく、「誰がそれを与えるのか」が重要になってきます。従って、もらう側はすぐさまその価値を判別することができず、長期的な交換関係を形成することになるのです。例えば「この恩はどうやって返せばよいのやら…」といっている相手に、いくら「じゃあ10000円でいいよ」といってもきっと納得することはないでしょう。しかし、「じゃあ、僕とずっと一緒にいてよ」といったような条件であれば、もらう側が与える側を評価していればきっと承諾するはずです。今のように「社会的交換」が明示的に行われることもあれば、暗黙の内に(恐らくこちらの場合が多い)行われることもあるでしょう。

社会的交換理論から派生する様々な仮説

 この理論を理解することによって、多くの概念のイメージがより鮮明になります。例えば「囚人のジレンマ」です。これらは、1対1のときのプレイヤーの「協力/裏切り」の選択が「相互依存関係」にあることから起こる現象を表したゲームモデルです。この「相互依存関係」にあるとき、人がとり得る最も安定して得点を稼ぐことのできた戦略は「応報戦略」でした。応報戦略とは、最初に協力行動を取り、相手の戦略をまねすることによってお互いの協力関係を作り出す戦略でした。つまり、「相互依存関係」であるときに、お互いが「ギブアンドテイク」をするような「社会的交換理論」が成り立つことを説明できる可能性を示唆しているのです

 また、プレイヤーが複数である「社会的ジレンマ」でも同じでした。人間がどうやって「社会的ジレンマ」を乗り越えているかはまだ議論のさなかですが、人は「こうあるべき」という「社会規範」を作り出し、それを遵守するかどうかでその人の「評価」が決まり、その「評価」によって、人の選択が左右することが分かっています。つまり、「社会的交換」でも見られたような「誰がそれを与えるのか」が重要になることと似たような説であることが分かると思います。このように、対人関係の満足度を「社会的交換」によって説明する試みは、対人関係を分析する手法の一つとしてとても有用だと思われます。

社会的交換理論の諸理論

 社会的交換理論には、先ほどの「相互依存関係」のほかに、「権力依存理論」というものがあります。例えば、Aさんが特製オリーブオイルを持っていたとします。そのオリーブオイルは限定生産品で、Aさんの立場でしか手に入らないものです。一方でBさんの妻はそのオリーブオイルがとても好きで、Bさんはそのオリーブオイルを使って料理をすることで夫婦を円満に保っていました。ここで、AさんとBさんの関係を振り返ってみると、先ほどの「相互依存関係」とは違い、「BさんがAさんに依存している」というだけの一方的な関係なのです。しかし、R.M.エマソンはそういった考察にはとどまらず、この関係の解釈を更に拡張して、「AさんがBさんに権力を持っている」というように考察しています。つまり、「相手の依存度が、二者間の権力関係を左右している」というのです。

 この理論を更に拡張して、「Aさんのオリーブオイルによって、BさんはBさんの妻(分かりやすくCさんにします)に幸せを与えられている」と見たとします。ここでは、間接的にAさんのオリーブオイルによってCさんは幸せになっているという構図が見て取れると思います。つまり、AさんとBさんの良好な関係によって、BさんとCさんの仲はよくなり、更にAさんの財がCさんの幸福度を左右している…といったような複雑なネットワークができていることが分かります。エマソンはこのネットワーク構造を分析することによって、権力関係の分布図を作ることができると言っています。つまり、「個人的な欲求」を満たし合う社会的交換理論が、「社会的な現象」である権力分布まで射程を伸ばしたといえます((1

社会的交換理論で遠距離恋愛を考察する

 冒頭の例にあるような遠距離恋愛はどうして続かないのでしょうか。その問題を解決する一つの理論として「社会的交換理論」を挙げることができます。改めて説明すると、アイオワにいる彼氏と遠距離恋愛をしている、新潟に住んでいる彼女が、彼の「好きだよ」という言葉の価値に不満になり、「直接触れてほしい」という財を求めているという場面です((2。しかし、彼も彼で、「アイオワから新潟への旅行費や時間」と「彼女の機嫌」を天秤にかけています。恐らく前者の方が手痛いコストだと思っていることでしょう。このように、遠距離恋愛では、時間的、金銭的なコストが多くかかるため、不均衡が生じることになり、「社会的交換理論」を用いて説明すれば「ギブアンドテイク」が成り立たずに緊張状態が続いてしまいがちであるということができます。遠距離恋愛を続かせるには、お互いに高い報酬をもたらさなければなりません。

 

 以上が「社会的交換理論」の主な概説になります。まとめると、社会的交換理論は、愛情や尊敬といった実体のないものをお互いに交換することで持続的に人間関係を形成するといった見方で、社会における対人関係の満足度を理解する理論的立場でした。その理論は、「相互依存関係」や「権力依存理論」といった仮説を生み出し、さらに「権力分布」などのマクロ現象まで説明できる可能性をもっています。

 次回は、いよいよ「援助行動」についてお話しします。他人への援助はいったいどういうものがあるのかといった具体的な説明に入ると思います。恐らく次回で、この「協力/裏切り」関係に見る単語の解説は終わると思います。結構大変ですが、頑張っていきましょう。

 

男「そりゃあ、君のことも大事だけど、今君の所に行けば俺はもう帰れなくなると思うんだ(本当は時間的にも金銭的にも厳しい)」

女「いつもそうやって…。アイオワに帰れなくなることで何か困ることでもあるの?私と一緒じゃ嫌なんでしょ。それに、社会的交換理論ってやつ?わたしとあなたのあいだで、どうも緊張状態があると思うのよね。私ってそんなに評価低い?」

男「なにを訳のわからないことを…。とにかくダメなんだ。ごめん。でも、好きなのは事実だよ」

女「ふーん、そ…はぁ、もういいわ」

 

Next: 援助行動

 

-----------------脚注

1. この関係を「マイクロ=マクロ関係」といい、社会心理学を統合的視点で考察する際に重要な概念であるということを以前説明しましたね。詳しくは社会心理学の意義をお読みください。

2. 恋愛心理学には「単純接触効果」というものがあります。それは、相手に中立的あるいは好意的な感情を持っているときに「毎日会っている」という事実だけで親しみがわいてくるというものです。例えば、あなたは「席が隣の人」と恋に落ちたことはありませんか。僕はしょっちゅうです(笑)。遠距離恋愛では、接触回数を稼ぐことができず、この「単純接触効果」を得られにくいという見方もできます。たとえ、SNSでやりとりをしていても、それでは補うことはできません。

傍観者効果: 東京の人は本当に「冷たい」のか?

社会心理学

Previous: 社会的ジレンマ

 

A「うわぁ、く~~~、いってて…。まさかこんな街中で転ぶとは…」

B,C,D....Z「(見てみぬふり)」

A「ねえ、なんで誰も助けてくれないのよ!おいそこの!!」

B「いや、だって…大丈夫だと思いましたから…」

 

 前回のおさらい 

 前回までは、「囚人のジレンマ」から人々が直面する葛藤を、「協力」と「裏切り」という二つの選択からなるゲームのモデルを想定し、集団間の葛藤である「社会的ジレンマ」まで範囲を伸ばして説明してきました。社会的ジレンマとは「個人的な欲求」を満たそうとすると、ほぼ必ず「社会的な欲求」を満たすことができなくなることからくる集団間の個人のジレンマのことでしたね。社会心理学は、人が社会的ジレンマに直面しながら、どうやって集団を維持しているのかという問題に今まさに直面しているという話をしました。

 その問題を解決する方法に、「社会的ジレンマ」の記事では、「サンクションシステムの導入」と、「互恵的利他主義」を挙げました。サンクションシステムとは、「個人的な欲求」を優先し、「社会的な欲求」をないがしろにする人間に「制裁」を与えることで、「社会規範」を維持する体系のことでした。そして、互恵的利他主義とは、「個人的な欲求」を無視しても相手に協力すれば、長い目で見れば必ず利益が多くなるという考え方のことです。しかし、この二つの概念はどちらも一長一短であり、十分に解決できる答えにはなりませんでした(前回の記事をお読みください)。

 ところで、「互恵的利他主義」が問題になったのは、ここ50年の話なのです。なぜなら、長い間人は、「人に協力する」ということは当たり前の規範だと思っていたからです((1。例えば、人はどうして「集団に属する」ことをするのかを考えてみましょう。よく考えれば「囚人のジレンマ」や「社会的ジレンマ」でも見てきたようなジレンマを抱えながらも「なぜ人と付き合おうとする」のでしょうか。そんなことをせずに「個人的な欲求」を満たすことができれば、それに越したことはありません。しかしそれでも、人は色んな「所属グループ」に属しながら生きてきました。つまり、間は長い間「個人的な欲求」を無視し、「集団の欲求」を満たすような行動を自然に取ってきたのです

 キティ・ジェノヴィーズ事件

 そういった「人は自然と協力行動を取る」という価値観を揺るがせる事件が1964年に起きました((1。それは、ニューヨークの住宅地で起こった「キティ・ジェノヴィーズ事件」です。深夜に住宅地を歩いていたキティ・ジェノヴィーズという女性が、突然暴漢に襲われ刺殺されたというとても悲痛な事件ですが、研究者たちを驚かせたのは、彼女が殺されるまでに30分以上も悲鳴が住宅地にとどろき、近くに住んでいた38人もの人がそれに気が付いていたにもかかわらず、誰一人として助けに行かなかったどころか、誰も警察に通報しなかったことです

 ところで都市部の人は集団になるとしばしば冷淡な行動をとると言われることが多いですよね。その理由の一つに、みんなが助け合い、村を共同で作っていく田舎と対比されて、都会の人間は隣に住んでいる人の顔も知らないといったような「無関心な一面」が見られることがあるからです。冒頭の例にもあるように、都会ではそばで誰かが転んでも素通りする人間が多いですよね。しかし、それは本当に「都会だから」なのでしょうか。

ダーリーとラタネの仮説:「傍観者効果」

 J.M.ダーリーとB.ラタネは、この実験を出発点として「なぜ人を助けなかったのか」という問題にアプローチしました。特にラタネは、『冷淡な傍観者 なぜ助けないのか』という著書をまとめるほどに、先の事件のような緊急事態に誰も女性を助けようとしなかったと事実に驚いたそうです。

 そこで彼らは、「緊急行動での援助行動」が行われる段階を次のように考えました。分かりやすいように、冒頭の具体例で介入を行うか行わないかの判断の経緯も付記しておきます。

  1. 緊急事態への注意(〇:誰かが近くで転んでいる、辛そうだ)(✖:そもそも気が付かない)
  2. 緊急事態発生の判断(〇:立つのもやっとだな、足首をねん挫していそうだ)(✖:周りの人は素通りしているし、もしかしたら大丈夫なんじゃ…?)
  3. 個人的責任の程度の決定(〇:周りに助けてくれそうな人もいないし、僕がやらなきゃ)(✖:誰かが代わりに手を差し伸べるだろうし、もし助けて下心があるとか言われたら嫌だな)
  4. 介入様式の決定: (〇:手を差し伸べるか、或いは救急車を呼ぶか)(✖:誰かが見ているし、失敗して悪く言われたらどうしよう)
  5. 介入の実行: (〇:肩を持ってあげて、近くのベンチに座らせてあげよう)(✖:性格悪そうだしやっぱいいや)

  このように「緊急事態での援助行動」のモデルを考えることで、「緊急事態への不介入」がどのようにして起こるのかという可能性を示しました。このように、「ほかの人々の存在が不介入を生じさせる状況的要因」が起こす効果を、「傍観者効果」と言います。例えば2の「周りの人の素通りから判断する」、3の「誰かが代わりに助けるだろう」、4の「みんなの前で失敗したらどうしよう」といったものは、「傍観者がいる」という要因のせいで発生していることが分かります。

 ダーリーとラタネの実験: 「模擬発作実験」

 ダーリーとラタネはこのような仮説の元、模擬的に緊急事態を発生させ、援助行動を起こさせる実験を行いました。

 まず、ニューヨーク大学の学生を集団討論に参加させ、その討論の最中に参加者の一人が発作を起こすという緊急事態を作り出しました。被験者(実験の参加者)は一人ひとり個別の部屋に入れられ、討論をその部屋のマイクとインターフォンを通して行いました。その途中で、参加者の一人(実験協力者でサクラと呼ばれる)が突然苦しみだし、発作を訴えます。それを聞いた被験者が廊下にいる実験企画者にどのくらいの早さで緊急事態を伝えるのかを計りました。

 実験は、被験者が一人の場合、二人の場合、五人の場合で行われました。つまり、被験者の数が多ければ多いほどラタネの仮説である「傍観者効果」が起こると予測されます。結果は、「自分以外にも討論参加者がいる」と思っていた学生ほど、緊急事態の伝達が遅いという結果になりました。つまり、「周りの人がいる」という状況的要因が「緊急事態への介入」を抑制することが実証されたのです

互恵的利他主義

 「人は自然と協力行動を取るだろう」という信念は、「傍観者効果」によって疑問視されるようになりました。「人はなぜ協力しないのか」という問いから、「人はなぜ協力するのか」という思考の転換が行われることになりました。そうした問いから、「互恵的利他主義」という考えが生まれ、検討され始めることになります。しかしその前に、次回は一旦別のアプローチから人と人との関係を見ていこうと思います。(次回とか言ってますが、順番に読まなくても大丈夫です。社会心理学は伝統的に様々な理論が並立的に、或いは相互関係的に存在しているので、目次から読みたい順番に読んでください)

 

A「うぅ…東京の人たちって本当に冷たいわ…」

B「ごめんね、傍観者効果といって、みんな見てたから…。でも、次は君を助けるよ(よかったら友達になろう…)」

A「は?次も転べってこと?ふざけんなよ」

 

 

 

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---------------------脚注

1. このように、科学的に基づかないが人々の間で信じられている理論のことを「しろうと理論」と呼びます。心理学や社会学、そして社会心理学はこうした「しろうと理論」をヒントに仮説を立てたり、検証を行ってきました。

社会的ジレンマ: 人はどうしてごみをポイ捨てしない?

社会心理学

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A「ねえ、駅にあるごみ箱がいっぱいになってんだけど。ごみが捨てられないじゃん」

B「そりゃあ、お前みたいなやつしかいないからだよ。持ち帰れよ」

A「だって、このごみ邪魔だもん」

 

 前回は、R.アクセルロッドの「コンピュータ・トーナメント」を説明しました。軽く復習すると、「囚人のジレンマゲーム」のようなゲームが永続的に続くような状況をコンピュータで再現したときに、「応報戦略」が最も生き残ることができるこということが分かりました。「応報戦略」は自らは絶対に裏切らない「上品な」戦略という性質を持っていました。

 しかし、これは1対1の総当たり戦を想定したゲームであり、実は「応報戦略」はプレイヤーが三人以上いたときには機能しないということが分かっています。なぜなら、相手の行動をたとえまねしても、第三者に裏切られる可能性があるからです。社会においては、1対1の駆け引きよりも、より大勢とのコミュニケーションが求められることが多いと思います。人はそのような状況に直面したときにどういった行動を取りやすいのでしょうか。

 ここで一旦冒頭の例に触れてみましょう。駅のごみ箱はたくさんの人間がごみを持ち込んで捨てていくのでどうしてもあふれてしまいます。ごみが溜まると異臭を放ったりするので、最近はごみ箱が駅から撤去されていることが多いですね。

 そこで、Bさんは「Aさんのような人間しかいないから、ごみが溜まってしまった」と言っています。「Aさんのような人間」とは、「ごみを捨てたいと思っている人間」のことです。人間は皆、「個人的な(マイクロな)欲求」を持っています。例えば、「幸せになりたい」や「おなか一杯食べたい」など自分自身が満たされるための欲求のことをいいます。基本的にそういった「個人的な欲求」は、必ずしも「他人の持つ欲求」とは一致しません。例えば、「自分が幸せになる」には、ときには他人の幸せを奪うことにもなりますし、「おなか一杯食べる」には、ほかの人の取り分をできる限り少なくしなければなりません。

 もう少しスケールを広げれば、「個人的な(マイクロな)欲求」は、「社会的な(マクロな)欲求」と必ずしも一致しないという側面があります。いえ、一致しないことの方が多いといった方が正しいかもしれません。冒頭の例でいえば、「ごみを捨てたいという(Aさんの)個人的な欲求」は、「使う際はごみ箱がいっぱいにならないようにしてほしい社会的な欲求」と明らかに一致していません。従ってBさんの言ったように、「(Aさんのような)個人的な欲求を満たそうとする人間ばかりいるために、社会的な欲求が満たされなくなってしまった」という結論はどうやら妥当なようです。

 このように、「マイクロな欲求」を満たそうとすれば「マクロな欲求」が満たされなくなり、「マクロな欲求」を満たそうとすれば「マイクロな欲求」が満たされなくなるといった状況を「社会的ジレンマ」と言います((1。「個人的な欲求」が集まると、個人間では想定されなかった「意図せざる結果」が起こってしまうのです((2

 では、社会はこういった状況にどう対処しているのでしょうか。その一つの答えを示唆しているものが「社会規範」という概念です。

 「社会規範」とは、社会で共有される「~すべき」「~してはならない」といった価値観や常識のことです。しかし、社会規範は目に見えにくく、実体を持っていないことが多いので(ここでは法律や司法とは区別します)、それがどのように作られていくかという問題は現在でも社会心理学者やゲーム理論家の方々の間で議論が続いています((3。しかし、冒頭の例でいえば、BさんがAさんに向かって「持ち帰るべき」と提案しているという状況では、「社会規範」が機能しているといってもいいでしょう。

 しかし、Aさんが「だって邪魔だもん」と駄々をこねるように、皆がこの「社会規範」を守るとは限りません。例えば、そのような制度を破っても何もリスクが発生しない場合には、他人の「協力的行動」に対して「ただ乗り」する人が現れる可能性があります((4。そういう人が増えれば、やはり「マクロな欲求」が満たされなくなってしまいます。

 これを解決する方法の一つは、「サンクションシステム」の導入です。「サンクション」とは「制裁」という意味ですが、簡単に言えば、「ただ乗り」するような人を「制裁できるシステム」のことを言います。「個人的な欲求」を優先して「社会的な欲求」をないがしろにするような人間を「制裁」することによって、協力的行動をとるよう誘導するといったものです。冒頭の例で説明しようとすれば、「これ以上ゴミが溢れるようならば、ゴミ箱を撤去する」という「制裁」を行い、各個人に「ゴミを捨てさせないようにする」と言ったことですね。これが機能すれば、「社会的な欲求」は無事満たされることになるでしょう。

 しかしながら、それだけでは必ずしも解決するとは限りません。なぜなら、「サンクションシステム」を導入するには、それなりのコストがかかるからです。例えば、誰かを制裁している間は、その人は「個人的な欲求」を満たすことができません。つまり、「社会的な欲求を満たすためにサンクションを行う」か、「個人的な欲求を満たすことを優先するか」という新たなジレンマが登場していることになります。これを特に「二次的ジレンマ」と呼んでいます。つまり、「サンクションシステムを維持する機能」と「個人的な欲求を満たす行動」の間にある緊張をどのように調整していくかという新たな問題が生まれるのです((5

 次に社会的ジレンマを解決するもう一つの例を挙げると、「互恵的利他主義」という考え方が参考になるでしょう。互恵的利他主義とは、お互いが他人のために協力しあうことで、ともに利益を得ようとする考え方をいいます。「情けは人の為ならず」といった言葉にも表れている通り、人間には自分のした良い行いが巡り巡って自分のためになるという価値観が存在します。進化心理学では、他人に協力したことによる「良い評判」が今後の行動を規定するという観点からシミュレーションを行うことで、「互恵的利他主義」を「適応的道具」として用いることによって生じる「社会全体の利益」を維持できる仕組みを解明しようとしています。

 しかし、そのアプローチにも様々な問題が挙げられています。分かりやすい例を一つ上げれば、それは社会に対する人間の「危機意識」です。実は、人間には「社会の利益が十分である」と判断した瞬間に「協力行動」を取らなくなる傾向があります。つまり、「ごみ箱が空であれば、自分でごみを持ち帰らずに捨てる」といった行動を取るのです。これに対して、どういった対処方法があるのかは現在も模索されているところです。

 ここまで、「社会的ジレンマ」から派生する、様々な問題について語ってきました。しかし、社会心理学者の間でこの問題が集団の中でどう解決されているのか(いないのか)という問題についての議論は未だに収束していません。そういった事情から「社会的ジレンマ」は「マクロ=マイクロ関係」の視点から社会心理学を考え得る一つの分野として、関連する研究が活発になっており、現在ではホットな話題の一つとなっています。

 その一つを例に挙げると、「ゲーム理論的アプローチ」が重要な役割を果たしているように思います。そのアプローチの方法とは、社会の力学的な流動を「間接互恵(複数の人がお互いに協力しあう仕組み)」の観点から数理モデルをシミュレーションし、様々な条件を付加しながらコンピュータによって人々の行動を検討していく手法です。こうした理論を検討していくことによって、進化心理学的な新しいアプローチの可能性はさらに大きな広がりを見せることになるでしょう。

 これにて一旦「社会的ジレンマ」のカテゴリーの説明は以上となります。次は、人はなぜ人に協力するのかという問題を与える「援助行動」について説明していきたいと思います。 ここまで読んでくださった方であれば、「社会的ジレンマ」と実は関連してくることが分かると思います。「集団が個人に与える影響」についてより深い知見を与えるような話になりますので、楽しみにしていてください。

 

A「…。Bにあんなことを言われるとは…。そうか、社会的ジレンマか、みんな困っているんだな。少しでもごみ箱の中身を減らすために、余分に持って帰って家で捨てよう」

女「あの…優しいんですね。みんなのために…」

A「え?あ、あぁ、そうですね、みんな困っているので…」

女「あなたみたいな優しい方…私はとても好きです」

A「あ、はは…。僕は、社会に協力することで個人的な欲求も満たすことができたわけだなぁ…」

 

Next. 傍観者効果

---------------------脚注

1. ここに、「マイクロ単位⇔マクロ現象」という関係の力学的なダイナミズムが感じられると思います。社会に個人がどう「適応」していくのかという視点を持てば進化心理学の萌芽を垣間見ることができます。

2. 社会心理学では、オルポートが「集団錯誤」という言葉でマクドゥーガルの「集団心」を批判して以来、「還元主義」的な考え方が主流となってきました。還元主義とは、集団のようなマクロ現象も個人に還元すべきだとする考え方です。この流れは、フェスティンガーが「認知的不協和理論」を提唱したりするにつれより一層加速します。しかし最近では、「社会的ジレンマ」や「集団意思決定」など個人の態度や感情だけでは説明できないような「相互作用」について焦点が当てられてきています。この特性を「全体的心理学的特性」と呼んでいます((6

3. 詳しくは、勁草書房から出ている亀田達也編著『「社会の決まり」はどのように決まるか』を読んでみてください。「社会規範」の構造をあらゆる視点から考察されていてとても面白いです。

4. このように、他人の協力行動にただ乗りするような「フリーライダー」が増えると、集団は大きくなる一方で、その集団で共有する規範がなくなっていきます。一方でそういう状況ではそもそも集団が形成されなくなってしまうとオルソンは主張しています。このジレンマ的問題をオルソンは「集合行為論」と呼んでいます。

5. このような問題を「コーディネーション問題」と言います。亀田達也は、これを群れ生活がうまくいくための問題の一つして取り上げています。興味深いことに、この問題は人間だけでなく、あらゆる生物が直面し、解決するために様々な工夫を行い解決しようとしています。

6. 唐沢かおり編著『新社会心理学 心と社会をつなぐ知の統合』第6章 2014 北大路書房

心理統計学: いかさまコインを見抜けるか?

心理統計学

さとみ「ねえ、この前のテストさぁ、A先生のクラスの平均点は64点だったのに、私のクラスは62点だったんだってー!」

きょうこ「ええ?じゃあ、君のクラスのB先生ってダメじゃん!」

さとみ「そうそう!今思えばあいつの授業、マジでわかりにくかったんだよね、あーあ、私もA先生が良かった!」

きょうこ「やっぱり、B先生なんかより、A先生の方がすごいね」

 

 今回は社会心理学で行われる実験の結果を分析する際によく用いられる「心理統計学」の基本的な考え方についてお話ししたいと思います。今回は、「考え方」のみに触れるつもりですので、複雑な数式などは省略しますが、「統計学」のおもしろさに少しでも興味を持ってくだされば嬉しいです。

 さて、冒頭の例は日常でよく見られる光景だと思います。きょうこさんは「A先生のクラスの平均点がB先生のクラスよりも2点高い」という結果から「A先生の方がすごい」という結論を導きだしています。この「Xならば、Yである」の「X」「Y」の関係を「因果関係」と言いますが、このように直感から因果関係を導く方法を「ヒューリスティック」と呼んでいます((1。しかし、テストの点数が高いのは本当にA先生のおかげなのでしょうか。

 ここでもう一つ例を挙げてみましょう。ここに、裏表のある1枚のメダルを持った男がいるとします。あなたはその男に勝負を仕掛けられたとしましょう。男は、

「もしコインを10回投げて、裏が出たら10円を僕があなたに渡し、表が出たら5円をあなたが僕に渡すことにしよう」

 と、言ってくるのです。あなたはもちろんこの勝負に乗るはずです。しかし、結果は全て「裏」。あなたは100円をその男に渡す羽目になってしまいました。あなたはこの結果に「何か作為があったのではないか」と抗議しますが、男は「一回も表が出ないことだって確率がとても低くてもあり得る」と言って聞いてもくれません。さてあなたは、もうその男からお金を取り戻せないのでしょうか。

 ここで一旦、全部「裏」が出る確率を求めてみましょう。コインは「表」「裏」と出る確率はそれぞれ50%になります。それを10回行うので1/2の10乗になりますので約0.097%になります。これは、1000回このゲームを行って1回出るかでないかの確率になります。この確率では、「とても低くてもあり得る」と本当に言うことができるのかは疑問です。

 そこで用いられるのが「有意」という考え方です。例えば「確率」とはその出来事が「偶然起こり得る割合」を指しますが、「偶然とは言い難いような結果」が出てくるようなことを、「統計学的に有意である」という結論の出し方をします。その「どのくらい珍しいことだと偶然とは言い難いか」を示す基準を「有意水準」と言います。心理学ではその「有意水準」を、5%か1%にすることが伝統的に多いです。

 さて、話をもとに戻しますと、「コインがすべて裏になる確率」は0.097%でした。つまり、「有意水準」を5%にしても1%にしても、その確率は有意水準よりも下になります。つまり、「コインがすべて裏になること」は、「統計学的に有意」な結果が出た、ということになります。つまり、そのコインには、統計学的に「何かしら作為があった」と言えます。ですのであなたはお金を無事取り戻すことができました。

 引き続き、さきのきょうこさんの話に戻しましょう。心理学ではしばしば、「平均値差の検定」というのを行います。「検定」とは先ほどのコインの例でいうと、「そのコインに作為があったかどうかを統計学的に判断すること」を言います。「平均値差の検定」とは、「その二つの群の平均値差に、統計学的な有意差は見られるのか」を判定するということになります。

 例えば、今回のような小さな差である場合、もしかしたらたまたま調子の悪い人が何人かいて平均値を下げてしまったのかもしれません。つまり、「その確率によっては平均値が同じ」である可能性もあったわけです。「A先生がすごい」から平均値がB先生と比べて高かったと言うためには、本当にその平均値差に「有意な差があったかどうか」を調べる必要があります。では、実際にやってみましょう。

 まず、検定をするときに「帰無仮説」というものを立てます。「帰無仮説」の「帰無」とはつまり、「棄却したい仮説」ということになります。今回の場合は、「A先生のクラスの平均点も、Bさんのクラスの平均点も同じである」というのが帰無仮説となります。そして、今回支持したい仮説は「A先生のクラスの平均点の方がB先生のクラスの平均点よりも高い」というものです。これを、帰無仮説に対して「対立仮説」と呼びます。通常は「A先生のクラスの平均点も、Bさんのクラスの平均点も同じだった場合、今回のテストの結果が起こり得る確率は(有意水準である)5%以下であるため、この仮説を棄却した方が良い」というような考え方をします。そして、この「帰無仮説」が棄却されれば、「対立仮説」を採択できる、というわけです。

 次に、「分布」というものを説明します。「分布」とは例えばテストなど行った場合における各生徒の点数と人数の値が集まったものを表します。統計学では、「母集団(調べたい集団:注が下にあります)」の分布を、「正規分布」と仮定して検定を進めていきます(数式は複雑で覚える必要はないのですが、数学的に導き出されています)。そして、この正規分布は「平均値」と「分散(分布がどれくらい広がっているか)」の値で形が決まります。

 ここで、定期テスト点数の分布は通常正規分布」の形になると想定して作られています(実は「偏差値」という考え方は、正規分布になっているという前提での数値ですが、その説明はまたの機会に…)。後ここでは便宜的に二つのクラスでは、「A先生のクラスもB先生のクラスも共に45人で、分散の値が14」だと仮定します。従って今回は「(対応のない)等分散性を持った二つの群の平均値差の検定」ということになります。

 この「平均値差の検定」においては「t検定スチューデント検定ともいう)」というものを使います。等分散性を持った2群の平均値差の「検定統計量(検定に使用する統計量で、数式は複雑なので割愛)」が「t分布(これも数式が複雑なので割愛)」という分布になることが知られています((2。「t検定」はこの「t分布」を用いて行います((3。ここでは検定統計量t=2.535と出たとしましょう。このtが有意水準αよりも高ければ、「帰無仮説」が棄却されることになります

 さて、いよいよ検定に移ります。ここで対立仮説は「A先生のクラスの方がB先生のクラスよりも高い平均点を取っている」ということですので、今回は片側検定を行います((4。1クラスの人数が45人の「t分布」での5%の有意水準αの値は、α≒1.561となります。従って、α<tとなるので、「帰無仮説」は棄却され、「対立仮説」が採択されました。すなわち、「A先生のクラスの平均点は、B先生のクラスの平均点よりも高い」ことが統計学的に示されたことになります(p値による検定が通常行われますが割愛します((5)。

 もちろん、だからといって「A先生のおかげ」とするのはまだ先の話なのですが、一応は「A先生のクラスが優れていた」ことは分かりました。しかし、これはまだ「確率が高い」ことがわかっただけで、「因果関係」を説明するにはもう少し詳細な吟味が必要となります。その際には、因子分析共分散構造分析などといった分析方法があったりします。しかし、今回はこのように、「統計学的に有意であること」を示すことによって、その研究の「妥当性」を留保できることが理解できれば大丈夫です。

  以上が、心理統計学の本当に基礎的な考え方になります。統計学は本当に難しくて、私も本当に苦労しています。他にも面白い検定方法や、分析にもたくさんの種類があるので後々また紹介できればいいなと思っています。今回の記事でわかりにくかったところがあれば是非コメントしてください。修正を重ねていきたいと思っています。

さとみ「B先生、今回のテストの点数の平均点が、統計学的にA先生のクラスの平均点よりも低かったんですけど!!教え方が悪かったんじゃないですかね!!!」

B先生「そりゃあお前らのクラスの頭のいいやつらがみんなインフルエンザで休んだからな」

 

------------------脚注

1. 「ヒューリスティック」とは例えば「あの店は行列ができているから、美味しいはずだ」と言ったように、科学的な根拠もなしに直感で判断することを言います(詳しくは後ほど解説します)。それに対して、数学的に導き出すことを「アルゴリズム」と言います。コンピューターはアルゴリズムによって結果を導いています。

2. 「知られています」とか「そうなっています」ばかりでごめんなさい。しかし、数式や照明が複雑すぎて、説明しようとすると恐らくブログ20日分はかかるのではないでしょうか。興味がある人は、「統計学」の参考書をのぞいてみてください。僕は…そこそこ楽しかったです。うける。

3. 普通は、標本の数をいれるだけで、検定統計量が出るような計算ソフトを使います。或いは、教科書であれば巻末に表で調べられるようになっています。いずれにしても心理学では自分で計算しなければいけない、なんてことにはならないので安心してください。

4. ここでは、対立仮説の種類によって検定の仕方が変わってきます。例えば、「平均値差がある」という仮説を検証したい場合は両側検定、「AよりもBのが高い」或いは「BよりもAの方が高い」のように比較したい場合は片側検定を取ります。それによって「有意水準」の範囲が変わってきます。

5. p値とは、簡単に言えば「帰無仮説に従った場合、サンプルが示した結果が出る確率」のことである。通常はエクセルなどの計算ソフトを使うことが多いです。今回は、p<0.007なので、有意水準が5%であっても1%であっても「帰無仮説」は棄却されます。

専門用語の説明(説明したもの以外)

相関関係: 「因果関係」とは違い、「Xであるときに、Yである傾向にある」といった関係性を示す用語である。「相関係数」rは、YがXにどれくらい相関しているかという程度を-1から1の値で表す。

独立変数: 「Xならば、Yである」といったときのXのこと。Xの値によってYが決定するため「説明変数」ともいう。

従属変数: Yのこと。「目的変数」ともいう。

母数: 「記述統計学」では、調べる対象の平均値、分散、標準偏差などが母数となる。これに対し「推定統計学」では、調べる対象があまりにも大きすぎるため、無作為に標本(サンプル)を抽出して調べる手法を取るが、このときに標本のデータと区別して、母平均、母分散などという。ちなみに、標本のデータは、標本分散、標本平均という。パラメータともいう。

妥当性: 調べた結果が正しい程度を表す言葉。例えば、テストの内容がまだ習ってない範囲を含んでいたりすると、頭の良い人でも点数を取れないため分散が低くなります。そうなると、平均値差の検定をしたときに、帰無仮説を棄却する確率が高くなってしまいます。従って、妥当性を留保できなくなってしまいます。